タラントスホール

ホールの歴史

  • 1963年秋

    Francisco Robira Beleta監督の同名映画 (邦題バルセロナ物語)公開後の翌年、レイ アール広場にタブラオ・ロス・タラントスが オープンし、バルセロナのフラメンコを語る 上で欠かせないスポットとなりました。内装 は個性的で、フラメンコ界の人々に加え音楽 マニアや知識人、この街を訪れる観光客や有 名人など多種多様な人々が集まる場所となり ました。

  • 1968年

    1968年、隣接するジャズホール Jamboreeが休業し、それに伴い当時の顧 客の多くがロス・タラントスへ流れてきまし た。その後わずか数年で、当タブラオはバル セロナのナイトライフに欠かせない有名スポ ットになりました。また、出演アーティスト のレベルの高さも成功のカギとなったので す。

    当初からロス・タラントスの責任者たちは、 当時のフラメンコ界のトップアーティストを 起用することに決めていました。オープンマ インドを持ち、このジャンルのあらゆる流 行を取り入れ、そしてハイレベルのアーテ ィストが出演するプログラムを組みました。 Vicente EscuderoやAntonio Gades、 María Márquez、José de la Vegaや La Toleaらバイラオールたち、Andrés Batista、Emilio de Diego、Pepe Pubilや Selva de Cádizらトカオール、そ してカンタオールはFosforito、Jarrito、 El Peti、El BrujoやPepe Cortésが起用 されました。このキャストにより、スペイン 各地そして海外にも当タブラオの名は広まり ました。そしてバルセロナに暮らすフラメン コファンや、この街を訪れるフラメンコ好き な人々の必須スポットとなったのです。